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岡山地方裁判所 昭和52年(ワ)86号 判決

原告 内藤秀之 ほか一名

被告 国

代理人 片山邦宏 岸本隆男 菊池徹 神田良実 塩見洋佑 入澤才治 大谷庸介 田村和志 ほか七名

主文

一  原告らの請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告は、原告内藤秀之に対し金二二万一三四〇円及びこれに対する昭和五二年三月一日から支払済みまで年五分の割合による金員を、原告奥鉄男に対し金三〇万四二〇〇円及びこれに対する右同日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告らの地位及び本件不法行為に至る背景

(一) 原告らは、いずれも肩書住所地である勝田郡奈義町に居住し、農業を営んでいる者であるが、同町には、自衛隊の中四国最大の演習場である陸上自衛隊日本原駐とん地(以下、「日本原駐とん地」あるいは「本件演習場」という。)が存する。

(二) 本件演習場は、明治四一、二年ころから旧陸軍の演習場となつたもので、第二次大戦後は自衛隊の前身である保安隊及びその後の自衛隊により継続して演習のため使用されてきたが、昭和四〇年三月から六月ころの間、陸上自衛隊第一三師団第一三特科連隊第二大隊と第一三戦車大隊の隊員合計約六〇〇名が配置されて現在の日本原駐とん地となり、同四六年三月に第一三特科連隊の主力部隊が配置され、隊員合計一六〇〇名、一五五ミリ砲一二門、一〇五ミリ砲二四門、戦車三〇輛を擁する第一級の実戦部隊基地となり現在に至つている。

(三) 原告らは、いずれも本件演習場に近接する地域に住居を有する者で、原告ら地元農民は、自衛隊の使用を妨げない限度で、下草、下枝等採取のため、本件演習場内に立入ることを認められているものである。

2  本件不法行為に至る経緯

(一) 昭和五一年五月初めころ、日本原駐とん地業務隊長は、奈義町に対し、同月一七日午前八時から午後一七時まで、本件演習場東地区の東寄りの区域において、八一ミリ迫撃砲の実弾射撃訓練を行なうので、同月一六日午後一五時から同月一七日午後一八時までの間右区域内への立入及び同区域内道路の一般通行を禁止する(以下、これらの立入及び通行禁止を「本件一般立入禁止指定」という。)旨通知し、またその旨記載した注意書を演習場に通ずる町道の一端に掲載して公示した。なお、右立入禁止区域の西南端付近で、演習場に通ずる東地区一の渡瀬橋の東側道路に自衛隊が設置した丸太製移動式防護柵(道路両端側の固定部分と中央部の可動部分とから成るもので、可動部分を拒馬と称するもの、以下「西ゲート」又は「ゲート」という。)が存している。

(二) 右通知された立入禁止時間の前である同月一六日午後一時ころ、原告内藤秀之の妻早苗が幼児二人を伴い演習場内に入ろうとして西ゲートに赴きゲート内側に入つたが、すぐ付近にいた二、三人の自衛隊員から通行を阻止された。さらに、ほどなく地元農民の訴外鷲田正平ほか四名が普通乗用車で、その後原告内藤やその母勝野らが軽乗用車で相次いで西ゲートに到着し、またそのころ原告奥や訴外亡高取澄子らもやつてきたが、いずれも自衛隊員によりゲート手前で立入を阻止された。

(三) 右原告ら地元農民は、自衛隊員に対し禁止時間前である旨主張して立入を認めるように抗議したが、そのうち隊員は、拒馬を移動させて西ゲートを閉鎖した。その後まもなく、数十名の学生や労働者ら(以下、単に「学生ら」という。)が次々と西ゲートにやつて来たが、同様立入を阻止されたので、隊員に対し拒馬越しに抗議し、そのうち拒馬を引つ張つたり押したりする状況になつた。

3  自衛隊員による木銃の使用及び投石の不法行為

(一) 原告ら地元農民及び自衛隊員との間において拒馬の引つ張り合等が続くうち、自衛隊員は楯以外に木銃(後記抗弁1(八)記載のもの)を使用して学生らを刺突し、その後、いつたん後退して態勢を整えたうえ、ゲート内に入つていた学生らや地元農民に対し、右楯以外に木銃を使用して刺突し、指揮官の「弾込め!撃て!」の命令一下一斎におびただしい数の石を投げながら攻撃を開始して学生らや地元農民をゲートの外まで排除し、さらに、抗議のため再びゲートに近づいた学生らに対しても激しい組織的な投石行為を行なつた。

(二) 原告内藤は、乗つて来た自己所有の軽乗用車を当初西ゲート手前近くにとめていたが、自衛隊員による投石が始まつたころ危険を感じて車をゲートから遠ざけたものの、石が車の下部に当たつた。このため、さらに一の渡瀬橋付近までバツクさせたが、隊員による一斉投石により、石三個が車の前面ガラスに当たり、これを毀損された。

(三) 原告奥は、学生らとともに拒馬越しにこれを引つ張る等して自衛隊員の立入阻止行為に対し抗議していたころ、隊員から木銃により背部、腰部を突かれる暴行を受け、全治五日間を要する背部、腰部挫傷の傷害を蒙つた。

4  被告の責任

自衛隊員の原告らに対する右の木銃の使用及び投石の各行為は、公権力の行使にあたる公務員が、その職務を行なうにあたつて故意になしたものであるから、被告は原告らの蒙つた各損害を賠償する責任がある。

5  損害

(一) 原告内藤は、自衛隊員による激しい投石を受け、大いなる不安と恐怖の念に襲われるとともに、車を毀損され長期間その使用が不可能になつたにも拘らず、自衛隊当局はその賠償さえしようとしない有様である。

これらのため同原告の蒙つた精神的苦痛を慰藉するには金二〇万円が相当である。

また、車の修理に金二万一三四〇円を要し、同額の損害を蒙つた。

(二) 原告奥は、自衛隊員により前記のとおり傷害を受け、特に腰部の苦痛は激しく、当夜は寝返りも打てない状態となつたもので、同原告の蒙つた精神上の苦痛を慰藉するには金三〇万円が相当である。

また、同原告は、右傷害の治療のため金一二〇〇円を要したほか、自衛隊の不法行為に対し、刑事上及び民事上の責任追及の法律手続をとる必要上診断書二通の交付を受け、これに金三〇〇〇円を要し、右診断書交付費用も自衛隊員の不法行為と相当因果関係ある損害というべきである。

6  よつて、原告らは被告に対し、不法行為による国家賠償として、原告内藤は金二二万一三四〇円、原告奥は金三〇万四二〇〇円、及び、各訴状送達の翌日である昭和五二年三月一日から各支払済みまで、それぞれ民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の(一)ないし(三)の各事実は認める。

2(一)  同2の(一)の事実は認める。

(二)  同2の(二)、(三)の各事実は概略としてこれを認める。

3(一)  同3の(一)のうち、自衛隊員による木銃の使用については使用開始時期、態様を争い、投石については、自衛隊員の一部において二度投石をなしたことは認めるが、指揮者の「弾込め!撃て!」の命令下になされたものではなく、その経緯、態様についても争い、その余の事実については概略として認める。

隊員による木銃の使用はもつぱら学生らの竹竿による刺突を防禦するためのものであり、また二度の投石は、学生らの投石に対する投げ返しとしてなされたもので、その経緯、態様は後記抗弁記載のとおりである。

(二)  同3の(二)、(三)の事実は不知ないし争う。

4  同4の事実は争う。

5  同5の(一)、(二)の事実は不知。

6  同6は争う。

三  抗弁

仮に、原告内藤が自衛隊員の投石行為により精神的不安等に襲われ、また車を毀損されたとしても、あるいは原告奥が自衛隊員の木銃使用により受傷したとしても、自衛隊員による投石行為は、以下のとおり、原告ら地元農民が学生らと共謀のうえなした隊員に対する違法な侵害行為に対し、自己又は他の隊員の生命身体の安全を守るため、やむなく行なつたものであり、木銃の使用も同様であつて、いずれも正当防衛にあたり、違法性が阻却される。

1  原告ら地元農民及び学生らの行為とそれに対する自衛隊員の行為及びそれらの経緯

(一) 陸上自衛隊第一三師団長は、本件演習場の東地区の整備及び同地区における迫撃砲射撃訓練の実施のため、集中野営訓練を計画し、昭和五一年四月二三日第一三特科連隊長に整備担任を命じ、さらに同年五月一二日右連隊長は指揮下の整備隊(九個隊)に警戒処置を命じた。右命令により西ゲートを含む区域は第四警備隊(六個大隊)第五警備大隊(大隊長小野正幸二佐以下一一〇名)がその警備にあたることになり、同月一六日午後一時ころ警備配置を完了したが、そのうち西ゲート付近は第一中隊(四四名)が配置され、ゲート直近付近には数名の隊員が警備していた。

(二) 原告両名を含む地元農民は、あらかじめ学生らと共謀のうえ、本件一般立入禁止指定時刻の直前に大挙して本件演習場内に立入り、自衛隊の実弾射撃訓練に抗議し、あるいは、これを妨害しようと企図した。

(三) そこで同日午後一時一五分ころ、原告内藤の妻早苗は、幼児一人を背負い、さらに一人の男児の手を引いて西ゲートに来、ゲートの警備にあたつていた隊員に対し、演習場内の新弾着地域の伐開状況を見るためと申し向けてゲート内に入つてきた。しかし付近にいた中隊長ほか数名の隊員において、同女に対し、演習場内は訓練準備のため車両が混雑して危険であるから他の道路を通行するよう説得するため、その立入を差止めた。

(四) そこへ午後一時三五分ころ、地元農民である鎌田孝幸、その母清子、鷲田正平、及び、吉元さよ子とその娘が普通乗用車で、やや遅れて原告内藤、その母勝野、吉元和郎、及び、ヘルメツトを着用しタオル等で覆面をした女子学生ら二名が原告内藤の軽四輪トラツクで、それぞれゲート手前に到着し、さらにそのころ、原告奥及び高取澄子もやつて来てゲート内に入れるよう要求した。そこで、応対にあたつた隊員は早苗に対すると同様にゲート内に立入らないよう通行を差止めて説得していたが、午後一時四五分ころ、那美池方向から乗用車一二台に分乗した学生らの集団が西ゲート方向に進行しているとの情報がはいつたため、小野大隊長は隊員四〇名をゲート東側に配置するとともに、ゲートを拒馬で閉鎖させた。

(五) ゲートの閉鎖に対し、原告ら地元農民は先着の学生らとともに拒馬を引つ張るなどして抗議し、特に原告奥は拒馬に馬乗りになつて抗議していたところ、午後一時五〇分ころ、一二台の車両に分乗した学生ら約六〇名が到着し、ゲート西側約五、六〇メートルの地点で下車して長さ三・五メートル、直径五センチメートル位の竹竿を携行するなどしてゲートにやつて来た。このため、中隊長らは携帯マイクでゲート内に立ち入らないよう注意したが、学生らは右警告に従うことなく、原告ら地元農民らとともに、あらかじめ用意していたペンチで拒馬の丸太を結んでいる鉄線を切断して拒馬を破壊しようとする行為に出、取りはずした丸太をゲート内に投げ込んだりするに至つた。

(六) その後、拒馬の取りこわしが思うように行かなかつたためか、学生らのうち三〇名位が、拒馬を支えていた自衛隊員に対し、前記竹竿を水平にして拒馬の間から突きかかつてきた。そこで、小野大隊長は後方にいた隊員に防石楯(グラスフアイバー製、高さ、一・二一メートル、幅五四センチメートル、及び、ベニア板製、高さ一・三メートル、幅四五・五センチメートル)八個、丸楯(木製、直径四四・五センチメートル)一〇個(以下、総称して単に「防石楯」又は「楯」という。)を持たせて前列に配置して竹竿による攻撃を防禦させるとともに、学生らに対し竹竿による攻撃をやめるよう再三再四呼びかけた。

(七) しかし、学生らはさらに攻撃を強め、拒馬をあらかじめ用意したロープで引き倒そうとしたり、これを防止しようとする隊員を竹竿で突いたりするとともに、隊員めがけて直径五センチメートルから最高三〇センチメートル位の石を投げはじめるに至り、そのころ原告奥も学生らとともに投石を行なつた。そのため、隊員の中に負傷者が出はじめたので、小野大隊長はいつたん警備隊を約一〇メートル後退させた。

(八) すると学生らは拒馬を倒し、竹竿を水平に構え、後方からの投石の援護を受けながら前進し、ゲート内約三メートルの地点まで侵入してきた。そこで小野大隊長は、隊員一〇〇名をもつて、前列に防石楯を並べるとともに、二列目の隊員に竹竿を払いのけるため木銃(長さ一・三六メートルないし一・六六五メートルの木製の銃様の形状をしたもので、先端は危険防止のためゴムタンポを取り付けているもの)を配つて態勢を整え、午後二時一五分ころ楯で投石を防ぎ、木銃を使用して(これが請求原因に対する認否3の(一)で認めた木銃の使用である。)竹竿を払いのけながら前進し、学生らをゲートの外まで押し返した(以下、「圧出」という。)。

右の間、学生らによる刺突行為や投石により隊員の中にさらに負傷者が続出したため、受傷した隊員やその付近にいた隊員の一部の者において、自己又は同僚隊員の身体の安全を守るとともに学生らの暴力行為を制止させようとして右を投げ返した(これが請求原因に対する認否3の(一)で認めた自衛隊員の第一回目の投石である。以下、「第一回投石」という。)。

(九) 右圧出により学生らは、午後二時二〇分ころいつたん車をとめていた地点まで後退して五分間位休憩していたが、その間にあらかじめ準備した袋に石を捨い集めたうえ、再びゲートに突つ込んできて投石及び刺突行為を続けた。

このため一部の隊員は、いつそう身の危険を感じ、投げられた石を投げ返した(これが請求原因に対する認否3の(一)で認めた自衛隊員の第二回目の投石である。以下「第二回投石」という。)。そして学生らは約五分間位右攻撃を行なつたのち、ようやく後退し、午後二時三五分ころ引き返した。

(一〇) 以上の学生らによる投石、刺突等の間においては、原告ら地元農民は、学生らの側方または後方にあつて学生らの用意した携帯マイク等で自衛隊を誹謗、罵倒する言辞を連呼して学生らの暴力行為に共同加功した。

2  以上のとおり、自衛隊員中、木銃を使用していた隊員は、前記(八)の学生らの竹竿による刺突に対し木銃でこれを払いのけて防いでいたが、仮にその際誤つて原告奥らを刺突し負傷させたとしても、前記のごとき原告ら地元農民及び学生らの一連の共同不法行為が行なわれている状況下では、他の適当な方法を取り得ず、また、後方にいた楯も木銃も持たない素手の隊員は、前記(八)及び(九)の学生らの各刺突及び投石によつて同僚の隊員に負傷者が続出し、自らも生命身体の安全に危機感を抱き、学生らの暴力行為を制圧して同僚及び自己の生命身体を守るためそれらの各時点においてそれぞれ石を投げ返したものであり、緊迫した前記の状況下ではその他の適切な防衛行為を期待できず、さらに、自衛隊員の右の木銃の使用及び投石により原告ら側の蒙つた被害とそれにより隊員らが守り得た法益とを比較しても合理的な権衡を失していないので、自衛隊員の右各行為は、いずれもやむことをえずしてなしたものというべきである。したがつて、隊員の行為は正当防衛にあたるので、仮に原告らに損害が生じたとしても被告にその損害を賠償すべき責任はない。

四  抗弁に対する認否及び主張

1(一)  抗弁1の(一)の事実は不知。

(二)  同1の(二)の事実は否認する。

(三)  同1の(三)のうち、早苗がゲートに着いた時間及び立入目的の点は争い、その余の事実は認める。

(四)  同1の(四)のうち、原告ら地元農民がゲート前に来たこと、自衛隊がゲートを拒馬で閉鎖したことは認め、その余の事実は不知ないし争う。

(五)  同1の(五)のうち、学生ら数十名がゲートに来たこと、学生らが拒馬を排除してゲートに入ろうとしたことは認める(但し、破壊しようとしたものではない。)が、その余の事実は争う。

(六)  同1の(六)のうち、自衛隊員が防石楯を使用したことは認め、その余の事実は争う。

(七)  同1の(七)の事実は争う。

投石は、自衛隊員の側から先になされたものである。

(八)  同1の(八)の事実は不知ないし争う。

(九)  同1の(九)の事実は争う。

学生らが休憩の後、抗議のためゲートに近づいたところ、自衛隊員は一斉に激しい組織的投石を行なつたものである。

(一〇)  同1の(一〇)のうち、原告らが自衛隊員の実力行使を非難したことは認め、その余の事実は争う。

なお、被告は、原告ら地元農民と学生らが共謀しているとしてこの一団を同一視しているが、地元農民と学生らは全く別物である。ただ、地元農民としては学生らの思想がいかなるものにせよ、本件現場において学生らが地元農民を支援してくれているのであるから、彼らが自衛隊員に対し拒馬の撤去を求める行動に反対する理由はなかつた。しかし、地元農民が学生らのうち投石する者や旗竿を使う者を支持したことはなく、学生らと自衛隊員との間でこぜりあいが発生したころは学生らの渦の中から後方に下がつて傍観していたものであり、学生らと地元農民は全く別個の考えで西ゲートに集まり、その行動においても全く違つたものである。

2  同2の主張は争う。

自衛隊員の第一回投石は、前記のごとく、指揮者の「弾込め!撃て!」の命令一下行なわれたもので防衛行為とはいいがたいし、またこの投石は、自衛隊側が、学生らと比べ優利な高位置を占め、人数、所持していた道具、体力の点でも優れていたものであるから、適当な方法であつたとも考えられない。次に自衛隊の第二回投石も、学生らの投石に酬ゆるに投石をもつてなしうるか疑問であるし、自衛隊側が右のごとく人数等で優越していたことを考慮すれば、投石以外の他の方法をとりえたものと思われる。

3  原告らの反論

仮に原告ら地元農民及び学生らに共同の侵害行為があつたとしても、それは、自衛隊側が先に、原告ら地元農民及び学生らの正当な本件演習場への立入権限を無視して違法に実力で立入禁止措置をとつたため、自招したものであるから、右自招行為に対する自衛隊員の木銃の使用及び投石はやむことをえずしてなしたものといえないので、正当防衛にあたらない。即ち

(一) 原告ら地元農民及び学生らの本件演習場に対する立入権限

(1) 日本原演習場は、国有財産法にいう行政財産で、自衛隊が演習に使用するためのものであるが、原告ら地元農民は、自衛隊が本件演習場を使用するのを妨げない限度において、目的のいかんを問わず、これに立入る慣習上の権利を有しており、地元農民以外の者も同様である。つまり、

ア 日本原演習場は、その置かれた位置などから地元農民と深くかかわりあい、ことに、昔から、地元農民が、その中に耕作地を開墾し、下草、下枝、自然の山菜等を採取し、また地元農民のための公共施設(水道なき時代の上水の確保施設や道路等)を設置し、あるいは、神社の建立をするなど、いわば総有的入会地として利用してきたものである。そして右入会権は本件演習場が国有地となり、さらに行政財産として使用されるに至つても基本的には失われることがなく、昭和四〇年七月にこれを管理する日本原駐とん地業務隊長と地元奈義町との間において締結された「日本原演習場の使用等に関する協定」(以下、「使用協定」という。)によつても同協定四条に、業務隊長は従来の慣行を尊重し、地元農民の要望にこたえるものと規定して右権利の存在を確認している。また同使用協定一二条に基づいて昭和四六年三月に締結された「日本原演習場の使用に関する協定に伴う細部事項」(以下、「細部事項」という。)においても同様であり、同細部事項三条所定の事由は、原告ら地元農民の立入をその目的別に制限したものではなく、単なる例示をしたにすきないものであり、また、細部事項八条所定の事由も、地元農民が演習場に入つたときは演習用に設置された道路についてもこれを通行することができるという内容の地元農民の権利を認めた規定であり、地元農民が有する細部事項三条で認められた権利を制限できるという規定ではない。

イ したがつて使用協定、細部事項によつて前記入会権が制限されるのは、自衛隊が本件演習場を使用し、それが右入会権と衝突する限度であり、具体的には自衛隊が本件演習場を使用するにあたり公示した立入禁止時間及び区域に限定されるもので、右時間及び区域以外は自由に立入ることができるものである。

ウ ところで日本原駐とん地業務隊長は請求原因2の(一)のごとく、本件一般立入禁止指定(昭和五一年五月一六日一六時から翌一七日一八時までの間、西ゲート及びこれを東西に通ずる道路―以下「本件道路」という―を含む本件演習場東地区の一部区域への立入禁止)を公示したが、本件紛争の発生した時間帯は、右立入禁止開始時間より以前であり、原告ら地元農民その他の者は演習場に立入ることができたのである。

(2) 仮に原告ら地元農民及びその他の者に慣習上の立入権が認められず、前記細部事項三条が立入目的を制限列挙しているものであつたとしても、原告内藤の妻早苗をはじめとする原告ら地元農民が演習場に入ろうとした目的は、権利の対象である山野の伐開状況を見、わらび等を採取する目的であつたので、これは細部事項三条二号に該当するし、同女らの目的が伐開状況を見るためだけであつたとしても、それは右同条同号で明白に認められている山菜等の採取の権利者にとつて重大な利害関係を有する山野の状況の観察であり、当然に許される行為である

(3) また仮に前記細部事項八条が、被告のいうように、防衛庁施設道路(自衛隊が演習用に開設管理している道路、以下「施設道路」という。)については、自衛隊の演習に支障のない場合に限つて通行を認める趣旨の規定であるとしても、本件道路は、従前から林道として存在し、原告ら地元農民が自由に通行していたものを拡幅したにすぎないものであるから、同条を適用して原告ら地元農民及び学生らの通行を禁止することはできない。

(二) 被告の違法な立入禁止措置と原告らの抗議

しかるに請求原因2の(二)、(三)のごとく、被告は本件一般立入禁止指定による立入禁止開始時間より二時間ほど前である同月一六日一三時過ぎころ、故なく原告ら地元農民や学生らの西ゲート内立入を実力で阻止した。

原告ら地元農民や学生らは、かかる自衛隊の違法な立入禁止措置に抗議して拒馬の撤去等を求めたものであり、このように自衛隊の違法行為に端を発して、原告ら地元農民や学生らが反発し本件紛争に発展してしまつたのであるから、自衛隊員の本件加害行為はやむことをえずしてなしたものということはできない。

五  原告らの反論に対する認否等

被告の原告ら地元農民に対するゲート内立入差止措置は適法性及び妥当性を有する。

1(一)  原告らの反論(一)の(1)の事実中、使用協定及び細部事項の成立、存在、日本原駐とん地業務隊長が本件一般立入禁止指定の公示等をしたことは認め、その余を否認する。地元農民らは、演習場に立入る慣習上の権利を有するものではない。

(1) 本件演習場は国有地であり、もと大蔵省所管の普通財産であつたが、昭和三九年三月三日、総理府(防衛庁)管理の行政財産となり、前記請求原因1(二)記載のとおり日本原駐とん地となつて以後、同駐とん地業務隊長によつて管理され自衛隊の演習のため使用されてきた。

また、本件道路は、通称馬天嶺線と呼ばれ、同四一年に自衛隊が開設して維持管理している施設道路である。

(2) かかる行政財産は、もとより国が自ら使用するのが原則であるが、その用途または目的を妨げない限度において国以外の者にその使用収益を許可することができるので、右駐とん地業務隊長は、地元奈義町との間に前記のごとく使用協定及び細部事項を各締結し、細部事項三条で地元民の演習場内への立入を特定の場合に限つて認める趣旨の、さらに施設道路については右の規定とは別に、同八条により、自衛隊の演習に支障のない場合に限つて通行を認める趣旨の各規定を置いている。

(二)  同(一)の(2)の事実は否認する。原告ら地元農民や学生らが西ゲートに立入ろうとした目的は、射撃訓練の妨害にあり、弾着地の伐開状況を見るためとか、わらび採りのためというのは口実にすぎない。即ち、

原告ら地元農民及び学生らは、それまで射撃訓練の都度演習場に抗議に来てしばしば自衛隊員との間にトラブルを生じ、ことに、本件の直前である昭和五一年四月の射撃訓練の際には、学生らが弾着地に潜入して発煙筒を焚き訓練を中止させたことのあることや、前記原告らの不法行為の経緯記載のとおり、原告ら地元農民と学生らがほとんど同一時刻に、同一場所に集結し、学生らはあらかじめロープ、ペンチ、竹竿数十本を用意していることや、地元農民らは弾着地の状況を常日頃から知つており、改めて見るまでの必要はなく、またわらび採りであれば広大な演習場内のうち射撃訓練に使用されていない他の地域でも可能であり、ことさら西ゲート内側でしなければならない必要はないもので、これらの事実からすれば、原告ら地元農民が学生らとともに本件射撃訓練妨害の意図に出たことが明らかである。

原告らの立入目的が右のとおり射撃訓練の妨害である以上細部事項三条所定のいずれの事由にも該当しないものであり、仮に弾着地の伐開状況を見るためであつたとしても、右の目的もまた細部事項三条所定の事由に該当しないもので、いずれにしても原告らの立入を差止めた措置は適法である。

なお、地元民でない学生らについては、演習場内への立入を認めなければならない何らの根拠もなく、立入を禁止する措置をとつたのは当然の措置である。

(三)  同(一)の(3)の事実は否認する。

西ゲートが設けられている道路は、施設道路であつて細部事項八条により演習に支障のあるときは、いつでも通行を禁止できるものであり、仮に原告ら地元農民がわらび採りの目的で来ていたとしても、本件当時西ゲート内は訓練準備のため車両が輻湊し、また道路が泥ねい化していたのであるから、同条により原告らの立入を差止めたことは適法かつ妥当なものである。

2  同(二)の事実中、前半は認める。但し故なく立入を阻止したものはない。後半は争う。

第三証拠<略>

理由

第一請求原因について

一  請求原因1(原告らの地位及び本件不法行為に至る背景)の(一)ないし(三)の各事実は当事者間に争いがない。

二  同2(本件不法行為に至る経緯)のうち、(一)の事実は当事者間に争いがなく、(二)、(三)の各事実は概略として争いがない。

三1  同3の(一)の自衛隊員による不法行為のうち、自衛隊員において、その使用開始時期、態様の点はともかく、学生らや地元農民に対し木銃を使用したこと、また隊員の一部において、指揮者の命令一下であつたか等の経緯、態様の点はともかく、学生らや地元農民に対し二度にわたり投石行為をしたことは、いずれも当事者間に争いがない。

2(一)  <証拠略>によると、

(1) 自衛隊員が防石楯を前面に、大小合計約二〇本の木銃を持つた隊員を二列目に配して、一団となつて西ゲートに入つた学生らや原告奥をゲート外に圧出する際、木銃を持つた隊員が、行手を妨げる原告奥や一部学生らに対し木銃で刺突したこと、またそのころ、もしくはその直後ころ、西ゲートの後方(東方)に楯や木銃を持たずにいた一部隊員がゲート付近にいる学生らや地元農民らに対し、ある程度の量の第一回投石を行なつたこと、またいつたん後退した学生らが再度ゲートに近付いた際、かなりの一部隊員がこれらの学生らに対し相当多量と窺われる第二回投石を行なつたこと

(2) 原告内藤は、自衛隊員の投石により、請求原因3の(二)の事実があつたこと、原告奥は自衛隊員の前記木銃使用により背部、腰部等への刺突を受け、全治五日間を要する背部、腰部挫傷の傷害を蒙つたこと

をそれぞれ認めることができる。前記各証人の証言及び原告ら本人の各供述中、右認定に反する部分はにわかに措信しがたく、後記(二)の証拠を除いて、その他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)(1)  原告らは、右第一回投石は指揮者の「弾込め!撃て!」との投石命令により行なわれたものであり、第二回投石も組織的な一斉投石である旨主張するところ、

〈1〉 <証拠略>にはいずれも右主張に副う部分があり、

〈2〉 また第一回投石時の「弾込め!撃て!)、という表現は一種独特のものであつて、聞き違えたり、記憶が不鮮明になつたりする類のものではないし、

〈3〉 また前記2の(一)の各証拠によれば、自衛隊が西ゲート内から学生らや原告奥を圧出した際、学生集団が、それ以前と異なり比較的短時間に排除分散されたことが認められるので、その際従前と異なつた何らかの有形力が加わつたことが推測されるし、

〈4〉 さらに第二回投石については、<証拠略>によれば、学生らが相当自衛隊側方向からの投石に神経をとがらせたり、身をすくめたりしているらしい様子が認められるし、また前記2の(一)の(2)(請求原因3の(二))のごとく、一の渡瀬橋付近にまでバツクさせておいた原告内藤の軽乗用車の前面ガラスに自衛隊員の投げた石が三個もあたつているので、これらの事実が第二回目の投石が激しかつたことを裏付けるようにも見えるし、

〈5〉 加えて、<証拠略>によれば、本件紛争現場にいた自衛隊員は、いずれも隊員歴三年以上の経験を有することが認められるところ、このような経験を積んだ隊員が、果たして、指揮命令系統の統制を重視する紛争の場で、指揮者の命令を受けずに、さらには指揮者の投石中止命令に反してまで、二度も投石を行なうことがありうるのか、疑問が存するところである。

(2) しかしながら、

〈1〉 <証拠略>は、<証拠略>に照らすと、自衛隊員の行為を非難するに急で、右推移等の事実経過に矛盾していたり、あるいは、あいまい、かつ、漠然としたものであるし、ことに、学生らの自衛隊員に対する攻撃については、見ていないとしてそろつてこれを否定するか、あるいは軽微なものとして述べるなど、その作為性を否定し難いものであるし、また、隊員による投石については、その経緯、順序において右の各写真に照らし事実経過に反し、これらの点から、全体としてその信憑性に疑問を抱かざるをえない。そして指揮者の命令があつたとの点についても、証人鷲田が命令の言葉をはつきり記憶していない旨述べているほかは、こぞつて命令をはつきり聞いた旨述べているが、他方、命令を発した指揮者、及びその位置、命令の出された段階等はそれぞれニユアンスを異にし、不明瞭の謗りを免れないばかりか、この点についてもつとも詳細に述べる証人早苗の証言中には、ゲートに向かつて右側の小高い丘及び道路側付近にいた二人の指揮者らしい人が携帯マイク等で投石命令をしていた旨の供述部分があるが、<証拠略>によると、右の二人の指揮者とは小野大隊長と警務隊捜査班長の森岡正博ではないかと推認されるところ、右森岡は警務隊に属し司法警察員の地位を兼ねた者で本件当日前記乙号証の写真撮影をしていた部下らとともに採証活動に従事していたものであり、小野大隊長以下の警備大隊とはその指揮系統を異にし、ゲートを警備していた隊員に対し指揮しうる地位にないことが明らかに認められるところであつて、証人早苗の右証言は措信できないこと、

〈2〉 <証拠略>により自衛隊員の第一回投石のころ、ないしその近くのころの状況を撮影した写真であると認られる<証拠略>には、いずれも原告側がいうような多数の自衛隊員による一斉投石の状況を窺わせるような状況がなく、また右各写真(但し、<証拠略>を除く。)中には、学生ら側にもそのような激しい投石の危険に神経を尖らせている様子が乏しいこと。

なお、<証拠略>の写真中には僅か数名の学生しか写つていないが、その姿には緊迫感があるし、また<証拠略>によれば、乙号証で提出された本件紛争の推移を撮影した前記連続写真の一部に欠落があることが認められるが、かかる事情を考慮してもこれらの写真から命令一下の激しい投石があつたことまでの事実を推認することは困難であること。

〈3〉 <証拠略>の写真は、その撮影したと思われる推定位置及び<証拠略>により、ゲート西北の丘上にいた背広姿の指揮者らが撮影したものと認められるところ、もし自衛隊側が圧出時命令一下の激しい投石をしたとすれば、<証拠略>の時点まで撮影を続けえた同人らはこれを当然撮影しえたはずであるのに、前記のとおり、かかる写真は一切存在しないこと。

〈4〉 また<証拠略>により自衛隊員がいつたん後退したころの学生集団の状況を写したものと認められる<証拠略>によれば、自衛隊員の圧出時の押し合いの際、学生らはほぼ全員で西ゲート付近にスクラム状にかたまつていたものと推認される。そこで、もしそのころに自衛隊側が原告らの主張するような激しい一斉投石を行なつたとすると、その投石は、圧出担当隊員の後方で本件道路上付近に控えていた隊員中の一部の者が行なつたことになるところ、それらの投石をした隊員と学生集団との間には幾分距離があいており、しかもそれらの学生集団が前記のごとく、スクラム状に小さくかたまつていたので、そのような学生らのみを狙つて投石することは技術的にかならずしも容易とは思われず、下手をするとかえつて味方の隊員に当てる危険を伴うものであり、果たして指揮者が右の時点でかかる危険な投石を命じたものであろうかとの点に疑問が残ること、

〈5〉 学生らや原告奥が、それ以前と異なり比較的短時間内に排除されてしまつたのは、前記2の(一)の(1)のとおり、隊員が態勢を立て直し楯で防ぎながら押し勝つたし、また隊員の木銃による刺突が加わつた影響力が大きいと推測されること、

〈6〉 かえつて証人小野正幸、同三木利夫、岡森岡正博らは小野大隊長らが投石中の一部自衛隊員に対し投石を止めるようマイクで繰り返し忠告していたこと、もつとも右忠告は、当時騒音や隊員らの動揺のため徹底しなかつたと、それぞれ証言していること、

〈7〉 第二回投石についても、前記各写真中には、自衛隊員の組織的一斉投石を窺わせるものがなく、また前記各証人は、この場合にも指揮者は自衛隊員に投石を止めるようマイクで命じこそすれ、その指揮下に投石したようなことはない旨前記同様の証言をしていること、

以上の諸事実も存在するので、これらをも総合して判断すると、前記(二)の(1)冒頭の原告主張事実は末だこれを認めるに不十分であり、その他に右事実を認定するに足る証拠がない。

四  右三の2の(二)を除く前記各事実によると、自衛隊の本件演習場における実弾射撃訓練に際し、その準備のため西ゲートを警備していた自衛隊員と西ゲート内に立ち入ろうとした原告ら地元農民及びこれを支援する学生らとの間で、右立入をめぐり衝突する事態が生じ、その後、自衛隊員において、原告ら及び学生らに対し、前記三の2の(一)の程度、態様の、木銃を使用した、あるいは一部の隊員の投石という攻撃による加害行為が行なわれ、右加害行為により原告らは、その損害額等はさておき、それぞれ損害を蒙つたことは明らかであり、右自衛隊員の加害行為は、一応違法なものと推定することができる。

そこで、次に被告の正当防衛の抗弁について検討することとする。

第二正当防衛の抗弁について

一  原告らの不法行為について

1(一)  <証拠略>を総合すると次の各事実を認めることができる。

(1) 抗弁1の(一)、(三)ないし(一〇)の各事実(但し、同(四)の拒馬を閉ざした時期、(五)の学生らの数、(七)の石の大きさ、原告奥の投石、(八)の圧出時の木銃の使用が竹竿の払いのけのみであることはいずれも除く。なお、(三)につき、早苗がゲートに着いた時間及び同女のゲート内立入の目的の点を除くその余の事実、(四)につき、原告ら地元農民等がゲート前に来たこと及び自衛隊がゲートを拒馬で閉鎖したこと、(五)につき、学生ら数十名がゲート前に来たこと及び学生らが拒馬を排除してゲート内に入ろうとしたこと、(六)につき、自衛隊員が防石楯を使用したこと、(一〇)につき、原告らが自衛隊員の実力行使を非難していたこと自体、以上の諸事実は当事者間に争いがない。)、また西ゲート付近の地形の概略は、別紙「本件紛争現場見取図」、及び、「航空写真」のとおりであること。

(2) 西ゲートにやつてきた学生らは約四、五〇名で、全員「プロ統」等のマークが入つた赤色や青色のヘルメツトをかぶり、マスクをして顔を隠し、右(1)(抗弁1の(五))のとおり、先端に「全学連」「社青同」「岡山労働者共闘会議」などと書いた旗をつけた竹竿約二〇本ほどを携行し、背広姿の指揮者や口ひげをはやした指揮者らの統制の下に集団行動を行なつていたこと。

右(1)(抗弁1の(五))の拒馬の破壊、取りはずした丸太の投げ込みなどは、ゲート前面にいた学生らが行ない、竹竿を持つた学生らは、これを垂直に立て集団の後方で待機していたが、右(1)(抗弁1の(六))のごとく、前列の学生らによる拒馬の撤去がはかどらなかつたためか、指揮者の命令により竹竿を持つた学生らがゲート前面に出てきた。そして竹竿を水平にして二、三人で腰をためてこれを持ち、拒馬のすき間から、拒馬の反対側(東側)に人垣を作り拒馬に抱きつくようにして支えていた自衛隊員の顔面や喉等身体をめがけて激しい刺突行為を繰り返したこと、この間原告奥は、すぐ後方で学生らに手伝つてもらいながら、学生らが用意した携帯マイクを用いて、自衛隊を非難攻撃する言辞を連呼していたこと。

そして、右刺突行為の激しい繰り返しにより自衛隊員に対し相当な負傷を与えたものの、竹竿を自衛隊員から逆に奪い取られたり防石楯で防がれたりしだしたため、右(1)(抗弁1の(七))のとおり前記指揮者の命令により、学生らはさらに投石による攻撃をも加え、一層激しく自衛隊員を攻めたてたこと、そのため警備隊はいつたん後退せざるを得なかつたこと。

その後右(1)(抗弁1の(八))の自衛隊の圧出により、学生らは、ゲート入口付近まで後退したものの、その付近で自衛隊と激しく衝突し、押し合いとなり、残つた竹竿による刺突行為や投石行為を繰り返したこと、圧出されてからも散発的に投石を行なつたこと。

さらにその後、右(1)(抗弁1の(九))のとおり、学生らは休憩中所携の袋に石を拾い集め、やがて指揮者の命令に従い、ゲート寄りに進み、ほぼ全員が数分間にわたり自衛隊員めがけて力一杯極めて激しい投石行為を繰り返したこと。

(3) 原告ら及び本件当日西ゲートに来た地元農民のほとんどの者は、これまで本件演習場で自衛隊の実弾射撃訓練が計画される都度、本件西ゲート等演習場に来て、訓練に対する抗議行動を行なつていたこと、ことに、本件演習の直前の昭和五一年四月に予定された射撃訓練の際には、本件の学生らと同一あるいは同一のグループの者と思われる学生らが、あらかじめ弾着地域に潜入して発煙筒を発火させるという妨害行為を行ない、このため訓練を中止するに至つたことがあること。

また、地元農民の中には、本件紛争後ほどないころから、支援してくれる学生らの活動の拠点等としてその便宜を図るため、いわゆる闘争小屋を建てて学生らに利用させていること。

(二)  ところで原告らは、原告ら地元農民と学生らの行動とは全く関係がない、原告ら地元農民が西ゲート内へ立入ろうとした目的は、演習場内の伐開状況を見ることやわらび等の山菜を採取するためであつたと述べ、学生らとの共謀または共同関係を否認するところ、<証拠略>中にはほぼ右主張に副う部分が存在する。

しかしながら、右(一)の(1)ないし(3)及び前記第一の二の各事実のとおり、本件当日、午後一時一五分から同五〇分ころまでの間に、本件西ゲートに、原告ら地元農民及び学生らが相次いで集結して来ていること、最初に来た早苗は、自衛隊員に対し伐開状況を見に行く旨、または、時間前だから立入できる旨述べているだけで、わらび採りの目的は告げていないこと、原告ら地元農民も時間前だから立入できる旨述べているだけであること、原告内藤の軽乗用車の荷台に学生ら二名が便乗して来ていること、ゲート前における学生らの行為に対し、地元農民の多数の者はすぐ後方で学生らの用意した携帯マイクを使用するなどして自衛隊員に対し抗議していること、ことに原告奥は学生らの攻撃行為に積極的に加担していたこと、地元農民の一部の者は、本件紛争後ではあるが、闘争小屋を建て、学生らに利用させるなど学生らの活動の便宜を図つていること、本件以前にも、原告ら地元農民の多くは、自衛隊員の演習が計画される都度、演習場に来て抗議行動をし、ことに本件の直前である昭和五一年四月の演習の際には学生らが演習場に潜入して発煙筒を発火させ、演習を中止させるに至つたことがあること、等の諸事実が存在するので、これらの諸事実に照らすと、右認定に反する証言、供述部分はにわかには措信できない。

(三)  前記(一)の冒頭記載の<証拠略>中前記(一)の(1)ないし(3)の認定に反する部分はいずれもにわかに措信しがたく、その他に同認定を左右するに足る証拠はない。

2  したがつて、以上の(一)の(1)及び(2)の事実によれば、学生らは共謀して自衛隊員に対し右認定のごとき激しい集団加害活動を行なつているのであり、また右(一)の(1)ないし(3)及び前記第一の二の各事実を総合すれば、原告両名及びその余の地元農民の大部分の者も、自衛隊の実弾射撃訓練に対し抗議する目的のもとにあらかじめ学生らと意思を通じてそれぞれ西ゲートに赴いてきたことが推認され、学生らによる自衛隊員に対する攻撃の際にも地元農民の一部の者、ことに原告奥は学生らとともに積極的に攻撃に参加し、原告内藤ら他の地元農民も、その間学生らを支援し、攻撃行為を支持容認していたもので、学生らと共同加功して前記不法行為を行なつていたものと判断される。

二  自衛隊員の前記木銃の使用及び投石行為が、自己又は第三者の権利を防衛するためやむことをえずしてなした加害行為であるといえるかについて

1  前記一の1の(一)の事実に、同所掲示の<証拠略>を総合すれば、次の各事実を認めることができる。

(一) 自衛隊員の配置及び人数等について

西ゲート付近を警備することになつた第五警備大隊第一中隊(三木利夫中隊長以下四四名)は、当初前記一の(一)の(1)(抗弁1の(一))のとおり配置されていたが、学生らの集団が向かつて来てゲートを拒馬で閉鎖したことは、同大隊所属の第二中隊及び予備小隊等から応援を受け、隊員の総数は、約六五、六名位になり、その後、学生らと最初の衝突が起こつたころには同大隊のほぼ全員の一一〇名位に、さらに、隊員がいつたん後退して態勢を整えたうえ、学生らを圧出する行為に出るころには、同大隊に所属する隊員の後方に、他の大隊から増援された隊員約七〇名位が待機し、その総数は約一七〇名ないし一八〇名位になつていたこと。

(二) 自衛隊員は、前記一の1の(一)の(2)のごとき、学生ら及び一部地元農民らの、拒馬の破壊、取りはずした丸太の投入、竹竿による力一杯の狙い突き、さらには投石へ次第にエスカレートしてくる執拗にして危険な加害行為に対し、拒馬周辺にあつて身を張りこれを守つていた隊員をはじめ、後方の隊員らも、素手で竹竿を奪い取つたり、防石楯を持ち出して防いだり、負傷した隊員を後方に下げたりするだけで、ひたすら自重して防戦一方にこれ努めてきたこと、そのため負傷隊員が続出し、学生の刺突、投石も止みそうになかつたので、前記一の1の(一)の(1)(抗弁1の(七))のとおり、いつたん後退せざるをえなかつたが、しかしそのころになると、隊員らにも同僚の負傷や投石の危険などのため相当動揺をきたし、ごく小数の隊員ながら石を投げ返すものが出始めたこと。

(三) やがて学生らは、前記一の1の(一)の(1)(抗弁1の(八))のとおり、拒馬を引きづり出しゲート内に入つて来たので、小野大隊長は、本件演習場内にかかる学生らが残留して演習の妨害をされるのを防ぐため、圧出行為を決意し、その際、学生らの刺突や投石から隊員の身を守り被害を最小限度に食い止めるべく、楯、木銃を配布した前記の態勢を組んだこと。

圧出にあたつた隊員は、気力を込めて学生らを押し出しにかかつたが、その際木銃を持つた隊員は、行手を邪魔する原告奥を前記のごとく刺突して退散させたし、また前記一の1の(一)の(2)のごとく、ゲート近くでスクラム状になり竹竿による刺突や投石により援護されて圧出されまいと抵抗する学生らと激しい押し合いになつたときには、素手で竹竿を奪い取つたり、木銃で竹竿を払いのけたりするのみならず、先頭の学生らを刺突した(これらが本件木銃による刺突である。)こと、これらの刺突は、学生らの機先をそぐなどして出来るだけ早くスクラム状の学生集団を分散後退させ隊員の被害を最小限に食い止めるためになされたこと、

(四) 他方、右圧出の際、圧出中の隊員の後方にいた隊員の一部の者は、学生らのまた始めた投石や刺突ないしはそれらによる負傷者の続出を見て動揺し、自己又は同僚の身の危険を案じ、咄嗟の判断で第一の三の2の(一)の(1)の程度の石を投げ返した(これが本件第一回投石である。)こと、

(五) さらに前記一の1の(一)の(2)のごとく、学生らが休憩後、ほぼ全員ですさまじい投石行為に及んだとき、隊員の中には、同様自己又は同僚の身の危険を感じ、学生らの投石を制圧して身を守るため、投石する者がでた(これが本件第二回投石である。)。その投石量は、かならずしも判然としないものの、相当多量であつたと推測されること、

(六) 自衛隊側は、学生らの前記一の1の(一)の(1)、(2)のごとき不法行為に対し、小野大隊長と三木中隊長が一台の、森岡警務隊捜査班長がもう一台の各携帯マイクを使用し、同一の1の(一)の(1)(抗弁1の(五)、(六)等)のごとく各種の違法行為のたびごとにそれを止めるよう再三警告を発し、あるいは負傷者が続出しているので刺突行為や投石を止めるようこれまた再三、再四呼びかけたのに、学生らは全くこれを聞き入れず、かえつて、地元農民の中には、学生所携の前記携帯マイクを使つて逆に抗議したり、あるいは学生らの中には右の警告中の指揮者をめがけて投石するものすらあつたこと、

(七) 学生らの刺突や投石の結果、自衛隊員側は、竹竿で刺突され、目、耳、口唇、手足等に受傷した者六名、投石による負傷者約五〇名がで、うち一四名が診断書を書証として提出しているが、加療期間は数日から二週間ぐらいであること、

他方原告ら地元農民側は、原告奥のほか、訴外亡高取澄子が投石を胸部に受けて加療一週間の打撲症を負つたほか、学生らにも木銃の刺突による負傷者や投石による受傷者がいくらか出たが、その詳細はわからないこと、

以上の事実を認めることができる。

<証拠略>中、右認定に反する部分は、いずれもにわかに措信できず、その他に右認定を左右するに足る証拠はない。

2(一)  右1の(二)ないし(五)によれば、自衛隊員の前記第一の三に示した木銃の使用及び二回の投石は、いずれも自己又は同僚隊員の生命、身体を守る意思でなした防衛行為であることが明らかであり、

(二)  前記第一の三及び第二の一の1の各事実に、右1の各事実を総合すれば、

自衛隊員の前記第一の三の木銃の使用及び二回の投石による防衛行為は、学生らや原告両名を含む地元農民の多数がその意を通じて前記第二の一の1のような推移、態様、程度の執拗かつ傍若無人な違法行為を行なうのに対し、十分な警告を与え、慎重な忍耐と一方的防禦行為の後に行なわれたものであり、

そのうち木銃の使用は、学生らや地元農民の演習場内への違法侵入に対し、行政財産の管理行為として拒馬外への退去を命じ、圧出(自救行為)を行なつた際、学生らの刺突、投石にあい、これを制圧して直近に迫つた隊員の生命身体の危険を防止するため、行手をはばむ者にのみタンポンのついた木銃で刺突したものであり、さし迫つた学生らの竹竿による刺突や投石による隊員の危険の中で、不法行為者自身に対する木銃による刺突は、方法として相当であり、演習妨害の経緯本件紛争時における学生らの右の挙動をも加味すると、これ以外の他の方法をとることを求めることは妥当でないし、

二回にわたる投石は、前記のごとき推移と態様の侵害の中で、動揺した一部の隊員が、自己又は隊員の身にさし迫つた急迫な危険を回避するため、咄嗟に学生らの行動を制圧しようとして行なつたものであり、この投石の際、原告らが反論するごとく、自衛隊側が、優利な高位置を占め、人数、体力、道具の点でも優れていたのは事実であるが、前記のごとき咄嗟の場合、不法行為者自身に対する関係で、それ以外の回避方法を求めることは妥当でない。

さらに、隊員の木銃使用及び投石行為により学生らや地元農民が受けた被害に比べ、自衛隊員側の受けた被害の方が権衡を失して小さいものとは到底推認されないので、もとより被害法益の権衡も失していない。

したがって、これらの諸事情を総合して考慮すれば、自衛隊員の右各行為はいずれもやむをえずしてなしたものと判断される。

(三)  付言するに、<証拠略>の中には、自衛隊側の指揮者が隊員の二度の投石の際隊員に投石を止めるよう命じたにもかかわらず、これに応じなかつた旨述べる部分があるが、そうだとしてもその命令は、指揮者としては国家機関としての自衛隊の性格上その場にあつても末だ自己犠牲の精神で謙抑的にあろうとして命じたものと判断されるものであり、前認定第二の一のような原告らの激しい不法行為及びこれによる被害続出等の中にあつて、個々の隊員がこれに従わなかつた者がでたとしても、それをもつて、隊員の正当防衛を否定することはできないものと考える。

3(一)  なお原告らは、仮に原告ら地元農民及び学生らに共同の侵害行為があつたとしても、それは自衛隊側が、先に原告ら地元農民や学生らが有する本件演習場内立入権限を無視して違法に実力で立入を阻止したため、自招したものであり、従つて自衛隊員の木銃使用及び投石はやむことをえずなしてものとはいえない旨反論する。そして右の本件演習場立入権限として、〈1〉原告ら地元農民は、慣習上本件演習場に立入る権利(入会権)を有するので、自衛隊が本件一般立入禁止指定をした以外の時間帯では目的のいかんを問わず、本件演習場内に立入ることができるのであり、細部事項三条、八条の各規定も制限規定ではない、〈2〉仮に右三条、八条が制限規定であつたとしても、原告ら地元農民は、使用を許容された山野の伐開状況を見、わらび等を採る目的で立入ろうとしたものであり、右三条二号により立入権限を有するし、また旧林道を拡幅したにすぎない本件道路には、右八条の立入制限は適用がない旨主張する。

そして右〈1〉の慣習上本件演習場に立入る権利を有するとの点につき、<証拠略>及び<証拠略>中にそれぞれこれに副う部分があり、また、<証拠略>中にもそれぞれこれを窺わせる部分があり、さらに原告ら主張の使用協定及び細部事項が締結されていること及び日本原駐とん地業務隊長が本件紛争発生時の時間帯につき本件一般立入禁止指定の公告をしていないことについては当事者間に争いがない。

(二)  しかしながら、

(1) 右〈1〉の、原告ら地元農民が本件演習場に立入る慣習上の権利(但しここでは、本件演習場内に存する神社とか池とかへの立入権限については触れず、原告ら地元農民及び学生らが伐開状態を見るなどのために立入ろうとしたそれが慣習上の権利として主張できるかに絞つて検討する。)を有するとの点は、これに副う前記各証言及び供述があるけれども、<証拠略>、特にこれらの証拠によつて認められる次の事実、つまり、本件演習場は明治四一、二年ころから旧陸軍の演習場になり、以来、第二次大戦後一時空白期間があつたものの、保安隊、自衛隊へと長年にわたり引き継がれ演習場として使用されてきたこと、仮に原告ら地元農民が入会権を有するものとすると、国の有する本件演習場の所有権の制限となるものであるし、特に演習場としての使用は利用面でも入会権の行使と衝突するものであるのに、国側が保存する文書等には入会権の存在を認めた記載が全くなく、地元農民側にも入会権を有する旨の文書がなく、昭和四〇年以降に作成された使用協定、細部事項にも、入会権の存在を確認したとまで続み取れる条項がないことに照らすと、にわかには措信しがたく、その他に右入会権の発生を基礎づける事実を認定するに足る証拠はない。

そうだとすれば<証拠略>により本件演習場(本件道路を含む)は国有地で、国有財産法三条所定の行政財産に属していることが認められるところ、行政財産は、これを所管する各省庁の長が特定の行政目的のために管理使用するもので、原則としてこれに私権を設定することができず(同法一八条一項)、例外として、その用途目的を妨げない限度で使用収益を許可することができる(同条三項)にすぎないものである。

そして右証拠によれば、この点につき使用協定及び細部事項は、地元民が古くから本件演習場内で耕作等をしていた事実から、行政財産となつた以後も本件演習場を管理する防衛庁、ことに直接の管理者である日本原駐とん地業務隊長において、従来の慣行を尊重するという形で一定の要件のもとに例外的に地元民の立入を認めるに至つたものと推認される。

そうすると、細部事項三条は、使用協定四条で尊重するとした慣行の及ぶ範囲を個別具体的に特定して定めた趣旨と解され、同条(1)ないし(5)の立入目的は制限列挙である(少なくとも自衛隊の演習に対する抗議を目的とする立入は含まれない。)ものと解されるところであり、この点でも原告らの(一)の〈1〉の主張は採用しがたい。

(2) 右〈2〉の使用協定、細部事項上認められた立入権限を有する場合にあたるとの点については、原告ら地元農民が本件演習場に立入ろうとした目的が自衛隊の演習に対し抗議をするためであつたことは先に第二の一の1において認定したとおりであり、かかる目的の立入は細部事項三条所定の条項に該当しないことも右(1)で述べたとおりである。

(3) したがつて、原告ら地元農民及び学生らは、そもそも本件演習場に立入ることができないのであるから、その余の点について触れるまでもなく、原告らの前記(一)の主張は採用しがたい。

4  したがつて、自衛隊員の原告らに対する木銃による刺突及び二回の投石は、正当防衛の成立に必要なすべての要件を充足しているため、違法性がなく、不法行為に該当しないので、その結果発生した損害について、被告国は賠償責任を負わないものと判断する。

第三結論

よつて、原告らの本訴請求は、その余の点を判断するまでもなく理由がないので、これを棄却することとし、訴訟費用の負担について民事訴訟法八九条、九三条一項本文を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 笠井達也 郷俊介 玉置健)

紛争現場見取図〈省略〉

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